2008年07月28日

いよいよ弘法大師讃岐入り

いよいよ弘法大師讃岐入り

弘法大師は太政官符(朝廷の許可)を受けて、沙弥(しゃみ=修行中の僧)一人と童子四人を従えて讃岐に下り、満濃池に近い那珂郡南部の豪族矢原正久(やばらまさひさ)の邸に逗留した。弘法大師四十八歳の時であった。
矢原氏は讃岐の国造(くにのみやつこ)神櫛王(かんぐしおう)の子孫で、鵜足郡と那珂郡の南部を開拓し郡司に匹敵する豪族であった。



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Posted by まんのう池コイネット at 07:45│Comments(0)満濃池の歴史・史跡
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