2008年07月01日
平安の破堤

国司 清原夏野の池普請
大宝年間の創築から百年を経た弘仁九年(八一八年)讃岐の国は大洪水に見舞われ萬農池は決壊し、その翌年には大干ばつに襲われ続いて十一年も干ばつという打ち続く自然災害に農民の生活は困窮を極めていた。そのため当時の国司 清原夏野はその惨状を朝廷に願い出て許可され築池使として路真人浜継(みちのまろびとはまつぐ)が讃岐に下り池普請に携わった。
これが弘法大師の池再築へとつながる
Posted by まんのう池コイネット at 14:00│Comments(2)
│満濃池の歴史・史跡
この記事へのコメント
こんにちは
いい写真ですね。
夏野とか路真人とか、この頃の人はかっこいい名前つけてますね。
いい写真ですね。
夏野とか路真人とか、この頃の人はかっこいい名前つけてますね。
Posted by たみ家
at 2008年07月01日 17:31

>たみ家さん コメントありがとうございます
時代によって名前の付け方も移り変わってますが最近では英語読みを漢字にあてたような名前の子供さんを時々聞きますね それはそれでかっこよかったりします。
時代によって名前の付け方も移り変わってますが最近では英語読みを漢字にあてたような名前の子供さんを時々聞きますね それはそれでかっこよかったりします。
Posted by まんのう池コイネット
at 2008年07月02日 08:10
