2008年07月10日
満濃池 今昔 路真人浜継の修築

路氏は土木工学の技術者で中央から地方へ派遣された工事の責任者であった。この時代の築池技術はかって帰化人が伝えた技術が完全に消化され、古墳の築造によゆって確立した版築や敷葉工法も普及して、各地で大規模な用水工事が行われており条里制の土地改革が本格的に進められていた。
当時、築池工事には食料や功料を与える雇役(こえき)や和与(わよ)で人夫を集めていたことが大政官符で明らかだが、讃岐の国は人口が少なく人夫の集まりも不十分で、築池工事は予定通りには進まなかった。そこで国司郡司は大和や河内の用水工事が僧行基を中心とした宗教集団によって成功した例にならい、弘法大師の力を借りて労力を確保し工事を進めることを計画し、朝廷に弘法大師の帰国を願い出たのである。
Posted by まんのう池コイネット at 08:18│Comments(0)
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