2008年06月24日
満濃池 池名の変遷(へんせん)

文武天皇の大宝年間の国司、道守朝臣(みちもりのあそん)によって満濃池が創築されたころから当地が神野郷と呼ばれていたところから神野池(かんのいけ)。五十二代嵯峨天皇が大同四年に即位されると、その「いなみ」の神野にふれることから神野郷は真野郷(まのごう)と改称したので、神野池も真野池なった。平安中期の寛仁四年の「萬農池後碑文(まんのういけのちのひぶみ)」に萬農池(まんのういけ)とあることから当時は萬農池と呼んでいたようである。
その後萬濃池、万能池、十千池(といちのいけ)と当て字を書いたこともあったようであるが、江戸時代の記録には満濃池の池名がよく見られるようになり、明治一二年満濃池士工会が「満濃池」に統一し「満濃池(まんのういけ)」が公式名称となった。
Posted by まんのう池コイネット at 13:04│Comments(0)
│満濃池の歴史・史跡