2008年07月31日
弘法大師満濃へ
弘法大師満濃池へ
弘法大師派遣の知らせを受けた矢原氏は弘法大師の下向を待った。
「矢原家家記」によると弘法大師は弘仁十二年四月二十日に矢原邸に到着している。

写真手前に滞留跡の碑と解説看板 奥に見える森が矢原邸跡です
弘法大師到着の知らせを受けた矢原正久が屋敷外れの「岩の本」(写真参照)までお迎えに出たところ、大師は早速笠をとり「お世話になります。池が壊れてさぞお困りでしょう。工事を早く進めるつもりです。よろしくお願いします」と丁寧にあいさつされたという大師が矢原家正門を笠をとってから入られたということで、それ以来矢原家の門をくぐるときはどんなに身分の高い方でも、笠をとってから入ることになったという話が伝えられている。


弘法大師が満濃池修築の際に停留した矢原邸は
弘法大師派遣の知らせを受けた矢原氏は弘法大師の下向を待った。
「矢原家家記」によると弘法大師は弘仁十二年四月二十日に矢原邸に到着している。

写真手前に滞留跡の碑と解説看板 奥に見える森が矢原邸跡です
弘法大師到着の知らせを受けた矢原正久が屋敷外れの「岩の本」(写真参照)までお迎えに出たところ、大師は早速笠をとり「お世話になります。池が壊れてさぞお困りでしょう。工事を早く進めるつもりです。よろしくお願いします」と丁寧にあいさつされたという大師が矢原家正門を笠をとってから入られたということで、それ以来矢原家の門をくぐるときはどんなに身分の高い方でも、笠をとってから入ることになったという話が伝えられている。


弘法大師が満濃池修築の際に停留した矢原邸は
Posted by まんのう池コイネット at 12:01│Comments(0)
│満濃池の歴史・史跡
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